日日是好日は禅語のひとつです。
表面上の言葉の意味としては「毎日毎日が素晴らしい」という意味です。
そこから、毎日が良い日となるように努めるべきだと述べている解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり、常に今この時が大切なのだ。
あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされています。【Wikipediaより】
この「日日是好日」が本のタイトルになっている
森下典子著
『日日是好日~「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』から、幸せになる15の方法を取り上げてみます。
Contents
第一章 「自分は何もしらない」ということを知る
第一章は、大学3年生の著者がお茶を習い始めた当初の出来事が描かれています。
通されたお稽古の部屋にあった「日日是好日」の額の前に正座することから始まった「お茶」のお稽古。
その過程で湧く、疑問や抵抗や反発。
「なぜ? なんで?」という質問は、
「なぜでもいいの。意味なんかわからなくてもいいから、とにかくそうするの」という先生の答えに一蹴される。
「お茶はまず「形」を作っておいて、その入れ物に後から「心」が入るもの」と言われ反発で爆発しそうになる著者。
しかし、いざ自分でやろうとすると、何一つできない自分は、一から十まで指示されて、操り人形のように動くしかない。
そこで著者は、
『ものを習うということは、相手の前に、何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ』
『からっぽにならなければ、何も入ってこない』
『私は、何もしらないのだ・・・・・・』
と心から思ったのでした。
『何もしらない』ということを知る。
自分の感情や反応をそぎ落としていくと、残るのは単にシンプルな「事実」だけ。
ただ「しらない」という事実だけ。
「良い」「悪い」「正しい」「間違い」ではなく、ただ単に事実が「ある」だけ。
とてもシンプルなことですが、とても安心を得られます。
幸せになる方法1
目の前の状況を「事実」と「幻(感情・思い・想像・推測など)」に分けてみる。
第二章:頭で考えようとしないこと
第二章では、お点前を繰り返す稽古日々が描かれています。
何回繰り返してもなかなか覚えられず、「何やってるのか、全然わからないよー」とぼやく。
先生は「稽古は、回数。一回でも多く数を重ねること」「習うより慣れろ」と毎週、同じ言葉を繰り返す。
しかし先生の指図がないと動けない著者が、指をおって順番を覚えようとしたら
「あっ、ダメ、覚えちゃ!」
と先生にぴしゃりと止められる。
毎回、こんなにいっぱい注意をしておいて「覚えるな」なんて理不尽だ。と憤る著者。
さらに、毎週変化する道具にたまらずメモを取ろうとして、また叱られる。
そんなある日、一つ一つの小さな仕草を正確に繰り返すことで、たくさんの「点」を打ち、その「点」と「点」が集まって、いつの間にか「線」ができ始めていることに気づいたのです。
そして先生が言います。
「頭で考えなければいいの。もっと自分の手を信じなさい」
つまり「自信」というものは、こういう事ではないでしょうか。
回数を重ねて、たくさんの「点」を打つと、やがて「点」と「点」がつながって「線」になり、それが「自信」となる。
幸せになる方法2
「自信がない」と悩んだり、あきらめたりするのではなく、まずは「点」を打つことから始めてみる。
第三章:「今」に気持ちを集中すること
お茶には「夏のお茶」と「冬のお茶」があり、冬になると部屋に「炉」が現れ、座り方まで変わってきます。
もちろん、道具類も変わり、お点前も変わり、著者はやっと身につき始めた「夏のお茶」のお点前を「夏のお点前のことは、忘れなさい」と言われて戸惑ってしまいます。
過ぎた過去にしがみつくことは許されず「今」に気持ちを集中することを求められます。
すると、何も考えない「真空」のような、すべてから切り離されたような気持ちよさを感じる瞬間がやってきたのでした。
「過去」にも「未来」にもとらわれず、「今」を生きることがどれだけ「自由」なのかが、ここから読み取れます。
幸せになる方法3
余計なことに囚われず、目の前のことに没頭して、集中してみる。
第四章:見て感じること
ひとのお点前を見て感じることが大事な勉強になる、と先生に言われて観察してみると、いとこのミチコのお点前には、彼女らしさが表れていることに気づいた著者。
そしてこの章では、改めて先生のお点前を見た「初釜」での出来事が描かれているのですが、一つ一つの動作を見逃さないように、五感を研ぎ澄ませていたことが伝わってきます。
『先生の手元を目で追っていると、なぜか頭の中が、心地よかった。「音楽」を目で聴いているみたいだった』
という一文が印象的でした。
幸せになる方法4
自分以外はみんな先生だという意識をもって、五感を総動員しながら観察し、感じてみる。
第五章:たくさんの「本物」を見ること
この章は「お茶会」での一日が描かれています。
そこは「茶会」という言葉のイメージからの印象とは違っていて、社交界ではありませんでした。
長い行列は、まるでバーゲン。
「まーまー」という不思議な感嘆詞が飛び交っていたり、遠慮争いが起きていたり。
そんな中で出会った年輩の女性を「かっこいい」「美しい」と感じたり。
その彼女たちを含め、茶会のあちこちで耳にした「お勉強」という言葉が、やっと受験勉強を終えて勉強から解放されたばかりの著者には不思議でならなかったり。
次々と時代劇めいた名前が飛び交う茶道具に呆然としたり。
そういう「はじめてのお茶会」での体験は、いつもの稽古している「お茶」とは全くの別世界。
そこで印象的なのが、たいへん価値がありそうな道具をいくら説明されてもピンとこなかった著者が、お茶碗を「拝見」した時の様子です。
最初、他人の持ち物をジロジロ見るのは、値踏みをしているようで恥ずかしかったのですが、お茶碗を手に取り、両手で包んでみると…。
「値踏み」という恥ずかしさはすぐに消え、肌になじむぬくもりを感じながら手のひらで味わうことができました。
そして先生が、「自分の目でいっぱい本物を見る。いろいろなお正客さんやご亭主を見て、場数を踏む。それが勉強」だと言う。
つまり、体験に勝るものはなく、本物を感じ取る能力も、また体験から得られるということですね。
幸せになる方法5
いつもの日常とは違う体験を重ねてみる。
◆◆まとめ◆◆
- 目の前の状況を「事実」と「幻(感情・思い・想像・推測など)」に分けてみる。
- 「自信がない」と悩んだり、あきらめたりするのではなく、まずは「点」を打つことから始めてみる。
- 余計なことに囚われず、目の前のことに没頭して、集中してみる。
- 自分以外はみんな先生だという意識をもって、五感を総動員しながら観察し、感じてみる。
- いつもの日常とは違う体験を重ねてみる。
*幸せになる15の方法(その1)の続き(その2)はこちら
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