◆◆幸せになる方法(その1)①~⑤のまとめ◆◆
- 目の前の状況を「事実」と「幻(感情・思い・想像・推測など)」に分けてみる。
- 「自信がない」と悩んだり、あきらめたりするのではなく、まずは「点」を打つことから始めてみる。
- 余計なことに囚われず、目の前のことに没頭して、集中してみる。
- 自分以外はみんな先生だという意識をもって、五感を総動員しながら観察し、感じてみる。
- いつもの日常とは違う体験を重ねてみる。

Contents
第六章:季節を味わうこと
お稽古を始めて2年が過ぎたころの話の章です。
お稽古にいけば必ず待っているお点前は、何度も同じ間違いをして叱られてばかりいます。
それでも行けば必ず「来てよかった!」と思えるのは、先生のお茶室にはいつも何かが待っていたからです。
和菓子には、素材そのものの味に、季節感が加味され、見た目も楽しめ、すっかりその魅力に目覚めてしまいます。
「わび」だの「さび」だの、訳のわからない渋好みだと思っていた茶道具が、実は洒落と頓智に溢れているものだということも知りました。
床の間には必ず花が飾られてあり、春はけなげに、夏は涼やかに、秋は淋しさの中にも華やかに、そして冬は冴え冴えと、数えきれないほどの花の名前も聴きました。
でも掛け軸だけは…。
お茶の「一番のごちそう」はなんと言っても掛け軸だと、先生から言われたものの、「一番のごちそう」というほどおいしくも、楽しくもありませんでした。
ある猛暑の日。汗を拭きながら入った稽古場に「瀧」の一文字だけが堂々と書かれた、人の背丈ほどある掛け軸が掛かっていました。
一瞬、水しぶきを顔に感じ、滝つぼから冷気が吹き上がり「あー、涼しい~」と、背中の汗がスーっとしたのです。
その時から、掛け軸からは風が吹き、水しぶきが飛び、月がのぼり、雪が舞うようになりました。
そして
「あーやっぱり来てよかった」
と思うのです。
先生が「おもてなし」という形で仕掛けてくるなぞなぞを解くように、「今」という季節を五感全部で味わい、体験する著者の様子が伝わってきます。
幸せになる方法6
「今」という季節を、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感全部で味わいきってみる。
第七章:五感で自然とつながること
この章はあるきっかけから、つぎつぎと五感を通して、自然と繋がっていく様子がわかります。
いつものお稽古の中で、お湯は「とろとろ」まろやかな音に、水は「キラキラ」硬く澄んだ
音に、突然ちがって聴こえてきたのです。
その出来事からのち、梅雨の雨の音、秋の雨の音が違うこと、音には美学があること、「水音」にはヒーリング効果があることにも気づいていきます。
また眠っていた嗅覚が目覚め、匂いによって過去のたくさんの自分が、今の自分の中で共に生きているのを感じていきます。
そして、音や匂いに気づくと同時に「茶花」が見えるようになっていきます。
人間には*スコトーマが働きます。
*心理的盲点、つまり視界には入っているのに、脳が認識できない状態の事。
ところが、何かのきっかけで意識を向けた途端にスコトーマは外れ、同じ日常が彩りにあふれたものになっていきます。
幸せになる方法7
「音」も「匂い」も「花」にも、どんなものにも丁寧に意識を向けて感じてみれば、いつでも自然とつながる事ができて、自分の枠が広がる。
第八章:今、ここにいること
大学を卒業して3年経ち、アルバイトをしながら就職するチャンスを待ち続けている著者は、自分だけが人生の本番が始まらないように感じていました。
そんな焦りの日々の中でも、お茶のお稽古だけは淡々と進んでいきます。
しかし、走らなければと焦っている著者は、お茶で足止めされているように感じられ、不注意を連発。
そして先生に
「ちゃんと“ここ”にいなさい」
「お釜の前に座ったら、ちゃんと、お釜の前にいるのよ」
と言われます。
そして、一つ一つの小さな動きにキチンと心を入れなさいと、「心の入れ方」を具体的に教えてくれるのでした。
自分の体の動きの端々に意識を巡らせ、抹茶を練ることだけに自分の心の全てを傾けていると、やがて焦りは消え、100%「ここ」にいる自分を著者は感じることができました。
また先生は、著者の就職試験の前日には「達磨」の掛け軸を掛けていてくれたのです。
掛け軸は「いま」の季節を表現するものですが、季節には春夏秋冬だけではなく、人生の季節もあり、著者の「人生の正念場」という季節に合わせて掛け軸を掛けていれくれた、という一節がとても印象的な章でした。
幸せになる方法8
感情に飲み込まれそうになった時には、一つ一つの小さな動きにもキチンと心を入れて、身体の動きの端々に意識を向けてみる。
第九章:自然に身を任せ、時を過ごすこと
この章は、著者が27歳の時、結婚式の2ヵ月前に相手の裏切りを知り、そのまま結婚を取りやめたその後の出来事が描かれています。
あまりの喪失感に呼吸が苦しくなったり、心も体も「抜け殻」になっていた著者にとって、一番長く辛い冬となりました。
どうやって元気になったらいいのかわからない著者は、ひたすら時が通り過ぎるのを待つのですが、今まで過去の遺物だと思っていた暦が「道しるべ」に思えてくるのです。
「節分」「立春」に「もうすぐ春だよ」と励まされ、「春一番」に期待を寄せるのですが、ぽかぽか陽気の後の大寒波に落胆したり。
そんな一進一退する季節に自分の心を重ねていきます。
そして、どんなに一進一退したとしても必ず春はやってきます。
勿論、著者にも。
幸せになる方法9
心の季節をそのまま受け入れてみる。
第十章:このままでよい、ということ
著者がお茶を始めて10年目。15歳の新人がやってきました。
著者はその若い新人が持つ、茶人としての素質を目の当たりにします。
そして、その後もひとり、またひとりと美しく変貌していく仲間に刺激を受けて、著者も仕草を大事にお点前をするように心がけるのですが、相変わらず、自分が何をやっているのかわからないのです。
次第にそれはコンプレックスとなり、13年目にお茶をやめる決心をします。
年内にやめると決めて、先生に言わないまま残りの数回のお稽古に通っていたある日、著者は「お茶事」の「ご亭主」を任せられます。
この茶事の亭主を経験したことで、今までバラバラだったお稽古がひとつの流れとして腑に落ちたのです。
すべてのことに理由があり、何ひとつ無駄はなかったのだと。
そして茶事の次の週は、通常に戻ったお稽古でした。
そのお稽古の最後、著者が深呼吸と共に、自分をとき放したら自分の中で声がします。
「このままでいいじゃないか」
気がきかなくてもいい。
頼りにならない先輩でいい。
自分を人と比べない。
私は私のお茶をすればいいのだ。
背負っていた荷物を放りだし、著者は体ひとつでそこに座っている自分を感じる
「なぁんだ! これでいいのか」
まさにありのままの自分を受けいれた瞬間です。
幸せになる方法10
このままでいいのだと、どんな自分も受け入れてみる。
◆◆まとめ◆◆
⑥「今」という季節を、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感全部で味わいきる。
⑦「音」も「匂い」も「花」にも、どんなものにも丁寧に意識を向けて感じてみることで、自分の枠を広げてみる。
⑧感情に飲み込まれそうになった時には、一つ一つの小さな動きにもキチンと心を入れて、身体の動きの端々に意識を向けてみる。
⑨心の季節をそのまま受け入れてみる。
⑩このままでいいのだと、どんな自分も受け入れてみる。
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